によう鳥のように

ちぎれた風景をつないでいこうにも

無言のまま触れられるのを拒んで

僕は、せまりくる雲のにおいを忘れた

僕は、鳥の降り注ぐのを見つけた

君のいた場所にも

僕のゆく季節にも

何も残さなかったものたちが

はぐれた影に隠れて喋りつづけている

まっ白な自由をゆけたらいいのに

 

こまぎれの光をついばみながら

それでも歌う鳥のように

によう鳥のように

 

詩をスライドに組みこみ、かつ短編映画の枠組み意識して制作しました。

WSに参加する前から写真映画というものに関心があり、写真と詩から映画が出来ないものかと模索しました。デジタル動画の撮影をすることはありますが、フィルム写真を継続的に撮影したのは今回が初めてで、さらにはポジフィルムでのマント仕上げの物質感や上映する際の映写機の光など非常に新鮮に思いました。WS中にトヨダさんから「ラ・ジュテ」という写真映画の存在を聞いて研究し、普段映画を観るときに写真的つながりを強く意識するようになりました。映画の制作の現場に携わっていることもあり、映画を構成する要素として脚本の存在が欠かせない、さらに脚本とは言葉で成り立ち、その核となるのは一編の詩であったり言葉であったりすることから、自身も詩を読んだり書いたりするようになりました。今回はそれらを写真と組み合わせての作品となりました。

スライドから現れたと思われる詩、数篇を一度解体し、スライドを組むように言葉を組み直し、スライドへ組み込むという詩作の手法をとりました。

タイトルの「によう鳥のように」はスライドの組み替え作業に対応して、言葉の組み替え、言葉遊びを取り入れてみました。物事が過ぎ去ったあと、そのことを思い出す時、匂いというものも重要な要因であると思い、映像は匂いを直接感じることないのですが、タイトルの言葉として表しておくことで、モチーフである雨や、桜、などの匂いを見た人が、その人たちの経験と結び付くものもあるかなと思いました。また「によう」という言葉を調べると

 

によ・う〔によふ〕【呻=吟ふ】 

[動ハ四]

1 苦しそうにうなる。うめく。

「あくる日まで頭痛く、物食はず、―・ひふし」〈徒然・一七五〉

2 詠歌がうまくできず悩む。苦吟する。

「歌を―・ひをる程に」〈落窪・二〉

 

のような意味もあることがわかりました。

​poem on chair

詩とは何かということに向き合いながら制作した映像作品。

書かれることの詩というよりもこの世界にある詩情とは何かをとらえようとした。

ここではその観測地点として椅子の上を選び、そこから見える風景を撮影し始めた。

そのことによりファインダーの捉える外の、自分自身が見ている景色の外のあまりの多さに気が付いた。

この撮影で私自身が映っている枠以外にも、そして私がいる場所や時間のほかにも無限の物事が存在しているのだということに気が付いた。

そして詩情とはつまり対象に私が向き合う時に現れ始めるという結論にいたった。

≪世界はそのように捉えたときそのように存在し始める≫

という言葉が私に現れた。詩は「在る」無限の世界を私というファインダーを通過していくときの、全世界のひとつの断片の形態や名称を指す。

言葉としての詩だけではなく、映像、音楽、そして私自身の肉体を通じ生きることそのものが、私という存在の枠の中での詩そのものであり、

逆説的に詩が私自身の「生」の証明なのです。

cony Island 

NY滞在中訪れたとても美しい風景。

なにごともなく暮れてゆく一日、。

その時間を切り取ったもの。

この経験から詩「コニーアイランド」を書いた。

​現在遊園地を中心とした作品を制作中。

「コニーアイランド」


Heaven がどこにあるのかというと
もう佇むことのない
汐風の吹く夕暮れの中にあるのだ

家族連れが賑やかに騒ぎ
観覧車が空をかき混ぜる

何もない時間の中に
ぽっかりと僕のいた影がある

焼きあがるピザを待ちながら
景色に溶け込んでいくことで
Heavenへのカギを拾い上げるのだ

始まりの知れない信号機が
案内を開始した

黄色い風船が
どこかの街角に現れては
消えてゆく

Heaven を通り過ぎて
僕はまたピザを食べる

風車

ネガフィルムをスキャンして詩と組み合わせた作品

同じカーテンをシャッター速度や、絞りを変化させながら撮影。​同じ地点でも捉え方はそれぞれに違ってくるし、それらは吹き込む風によってまわりだすのだ。と思った。

風車

はだけたシャツの隙間から

白い君の肌がのぞいて

赤く染まるほおを恥ずかしげに隠した

 

夕立が上がったあとの光る道を

風と一緒にふらふらと歩いて

出逢ったのがいつだか思い出していた

 

10年先がどうなるかなんて

考えるふりをして君の素振り

とどまる時の中でさぐっていた

 

次の約束をしないままに

音の速さで今が思い出に変わってゆく

さよならを告げないままに

カラカラと回る風車に

僕らの景色もまぎれはじめる

朝陽に泳ぐ

溶け込むために朝日に向かって泳ぐんだ
見知らぬ場所に生きてくこと決めて
吐きそうな、泣きそうなのこらえて笑うんだよ
どこが僕の生きる場所
どこが僕の居場所
わからないままに放り出された空の下
人混みの中で息継ぎしながら泳ぐんだ
溢れるものの中で息継ぎしながら泳ぐんだ

聖書:マタイによる福音書 6章25-26節
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

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